大判例

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東京高等裁判所 昭和25年(ネ)1154号 判決

被控訴人哲、同時子、同愛子、同寿子、同マサ子との関係において原判決中控訴人敗訴の部分を変更する。

控訴人は被控訴人哲、同時子、同愛子、同寿子に対し各金八万円

被控訴人マサ子に対し金十五万円

及びそれぞれこれに対する昭和二十三年五月二十八日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払うべし。

右被控訴人五名のその余の請求はこれを棄却する。

被控訴人七五郎及び同はるのに対する本件控訴はこれを棄却する。

被控訴人哲、同時子、同愛子、同寿子、同マサ子と控訴人との間の訴訟費用は第一、二審を通じこれを三分しその一を同被控訴人等の負担とし、その余は控訴人の負担とする。

被控訴人七五郎、同はるのと控訴人との間の控訴費用は控訴人の負担とする。

この判決は被控訴人哲、同時子、同愛子、同寿子において各金二万円、被控訴人マサ子において金四万円の担保を供するときはそれぞれその勝訴部分に限り仮にこれを執行することができる。

二、事  実

控訴代理人は、「原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す、被控訴人等の請求はこれを棄却する。訴訟費用は第一、二審共被控訴人等の負担とする。」との判決を求め、被控訴人等代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張は、控訴代理人において、「(一)被害者鎌田万は、戦後その郷里において食糧の闇売をし、米の闇売のため屡々上京していたものであるが、昭和二十三年五月二十日午後十時頃、米七、八升を携えて、上野駅に到着し、同夜右米をいずれにか売却した後、樋口イト方に一泊、翌二十一日早朝帰郷しようとした際、本件事故に遭遇したものであるところ、元来、万は、警察官等の尋問に対しては、横着な或は横柄な態度をとるような性格であるところから、浅海巡査の不審尋問を受けたときは、食糧管理法違反による心理的な負目とその性格から、同巡査に対して相当横柄な態度をとり、抵抗し兼ねまじき気配があつたので、その間の両者間の押問答の調子は相当緊迫したものであつた。従つて同巡査が附近一帶が犯罪発生件数の非常に多い場所柄であることをも考え併せて万を直感的に犯罪の容疑者ではないかとの疑を持つたのは当然であり、充分の警戒を怠らなかつたのは勿論、万の反抗的な態度に対する一瞬の気合として拳銃を取り出した(万に対して銃口を向けることはなかつた)のは、万の反抗的態度によつて挑発されたものというべく、同巡査が自己を防護するためその他の変に応ずるために拳銃を取り出したことは、緊急已むを得ない必要な措置として何等不法な行為ではなく、同巡査に過失はない。(二)たとえ同巡査に過失があるとしても、同巡査が拳銃を取り出したことは、被害者万の挑発したものである点、並びに拳銃を持つている者に対してその拳銃を奪おうとして飛びかかることは拳銃の発射を誘発する危険があることは、何人といえども充分予知することができるのであり、また同行に応じさえすれば何の危険もないのにかかわらず万が抵抗の挙に出た点にも万に過失があるから、右万の過失は、損害賠償の額を定めるについて斟酌さるべきである。(三)被害者万の死亡による得べかりし利益の喪失損害額として原判決が認定した毎年三万六千円の数額は、被控訴人鎌田七五郎及び被害者万の昭和二十二年度及び昭和二十三年度の所得税の課税標準等より推定すると過大である。」と述べ、被控訴人等代理人において、「(1) 原審主張の「訴外万は上京の列車中にて途中郡山駅にて一斉検査を受けた際」という点を「訴外万は上京の列車中にて途中何れかの駅にて一斉検査を受けた際」と訂正する。(2) 前掲控訴人主張の万の食糧闇売買の事実、万の性格及び訴外浅海巡査には過失なく、被害者万に過失ありとなす具体的内容事実は、いずれも否認する。万が米の闇売をしたという事実はなく、万の性格も温柔であり、万は警察官の質問に対し一々回答しており、汽車で帰るために時間が切迫していることや現場で取り調べてくれるよう述べている。また浅海巡査が本件拳銃を取り出したのは、万が同巡査に飛びかかつて行つたからではなく、同巡査が万の胸ぐらを取り、拳銃を取り出したので、万は身の危険を感じたので、反射的に手を挙げてこれを防ごうとしたものである。(3) 万の死亡については若し警察において適当の処置を行えば生命を取り止めることができたかも知れなかつたのであつて、(甲第八号証鑑定書参照)被控訴人等としては、この点において遺憾やる方ないのであるから、本件慰藉料の判定には右事情も斟酌さるべきである。」と述べた外は、いずれも原判決の事実摘示と同一であるからここにこれを引用する。

<立証省略>

三、理  由

昭和二十三年五月二十一日午前四時三十分(夏時間)頃訴外鎌田万が東京都台東区寿町交叉点附近(同町三丁目五番地先)に差しかかつたとき、浅草警察署勤務警視庁巡査浅海政男の巡回にあい、不審尋問を受けたこと、その際同巡査が万に対し巡査派出所へ同行することを求め、万がこれをことわつたこと、万はその当時兇器は持つていなかつたこと、ところが同巡査が右手にした拳銃によつて万が左腹部に銃傷を受け、同区下谷中根岸二十四番地下谷病院に入院加療を受けたが、同月二十七日午後五時五十五分死亡したことは当事者間に争いがない。

よつて右事故発生につき右浅海巡査に故意又は過失ありや否やについて審究する。

成立に争いなき甲第一、第三、第七、第八、第十三、第十五号証、原審証人佐藤ちな子、同樋口イト、同吹山敬治、原審(第一、二回)並びに当審証人浅海政男、当審証人小倉ふみの、原審(第一、二回)並びに当審における被控訴本人(原告本人)鎌田はるのの各供述及び原審並びに当審における各検証の結果を綜合すると次に掲げる事実を認めることができる。

万(大正九年九月十九日生、本件事故のあつた昭和二十三年五月当時は年齢満二十七年八月余)は、その父母妻子と共に被控訴人等の肩書地に居住し、家業たる農業に従事する傍ら馬車曳業を営んでいたところ、かねて姉小倉ふみのから同人が万の居村に疎開していた当時受けた配給米の残りを東京都葛飾区内のふみのの嫁ぎ先へ届けて欲しいと依頼されていたので、これを届けることを思い立ち、昭和二十三年五月十九日米七、八升をリユツクサツクとボストンバツクに入れ、これを携帶して家を出て翌二十日早朝仙台に居る妹佐藤ちな子方に立ち寄り姉小倉方に行くことを話し、同日午前十時頃の仙台発の列車で上京の途についた。出発に際し万の母はるのは、特に万に対し、明日から田植が始まるから、一晩泊つたらすぐ帰つてくるよう注意するとともに、浅草に廻つて釘を買つてくるように云いつけた。ところが万は、途中福島駅と郡山駅間の列車中にて一斉取締にあい、携帶の米の大半を領置されたが、折角東京までの切符を買つてあるので、そのまま乗車を続け、定刻よりおくれて同日午後十時頃に上野駅に到着した。下車後、万は、かつて一度小倉方を訪ねたときの記憶をたどつて小倉方の所在を思い出すことにつとめたが、どうしても思い出すことができず、それに夜おそくなつて来たので小倉方へ行くことは断念し、母にいいつけられた釘を買い旁々宿をとろうと考えて浅草に廻つた。その時は既に夜も更け人家は多く門戸を閉していたので、幸いまだ起きていた台東区寿町三丁目一番地飲食店樋口イト方に到り、姉が東京に居るので訪ねて来たが前に一度来たきりで道が分らなくて困つている旨事情を述べて一夜の宿を願つた。イトは、万が田舎者らしい様子をしており怪しい者とも思えなかつたので願いをいれて宿を貸した。翌二十一日、万は、釘は仙台で買うことにし早朝上野駅発の列車で帰郷しようと考えて午前四時三十分(夏時間)頃イト方を立ち出で同町三丁目五番地先を同町の道路交叉点に向つて進んで行つたとき、折柄浅草田原町派出所受持区域の警邏についていた前記浅海巡査の巡回にあつた。その時はまだ薄暗く附近には街燈もなかつた。万は、カーキ色の軍隊服を着用し、白のズツク靴をはき、右手にボストンバツク一個を携え、頭髪を伸ばしていた。万の姿をみとめた同巡査は、時刻、場所柄、人相、服装の点から不審だと感じ、うしろから万に近づき約一間半の辺で「もしもし」と呼びかけたところ、万は振り返つて立ち止つた。そして「何処に行くか」「仙台だ」「何処から来たか」「仙台だ」「昨夜は何処に泊つたか」「その辺に泊つた」という問答が両名の間に重ねられた。同巡査は、窃盗犯人ではないかとの不審をいだき万の携帶品を調べてみようと考えてボストンバツクを指し「持物は何か」と尋ねたところ、万は、「衣類である」と答えた。同巡査は、更に「衣類は何か」と問うと、万は、「着物とシヤツである」と答えた。そこで同巡査が「では一応中味を見せてくれ」と云つたが、万は、「俺は何も悪い事はしていないから見せる必要はない」と拒んだので、同巡査は、取調のため万に田原町巡査派出所への同行を求めたところ、万は行くとも行かないとも云わずに寿町道路交叉点の方に向つて歩き始めた。同巡査は万から約一間半離れてあとにつづき、同交叉点附近に達したとき、万は傍らの板塀に寄り掛り「私は何も悪いことをしたのではないからここで調べてくれ」と云つたが、同巡査は、ききいれず、なお同行を求めるので、万は、「汽車に乗り遅れるから駄目だ」と云うと、「何でも交番まで来てくれ」と云い、万が「どうしても行かない」と頑張ると、同巡査は「どうしても行かないか」と云いながら右手で携帶の十四年式拳銃(安全装置はかかつていた)を取り出したので、万は、「拳銃一挺位何だ」「打つなら打つて見ろ」と云いながら突然ボストンバツクを投げ捨てて同巡査に組み付いて来たので、同巡査と揉み合いが始まり、万は拳銃が危いので同巡査の手からこれを取りはなそうとして争つていた際、揉み合う力に押されて浅海巡査が持つていた拳銃が何時の間にか安全装置が外れて突然発射し、万の左腹部に命中し、万は、これが原因となつて腹穿孔と腹膜炎とを起し同月二十七日死亡するに至つた。

かように認めることができる。前掲甲第七、第十三、第十五号証の各記載並びに前掲浅海政男、被控訴本人(原告本人)、鎌田はるの、原審証人三浦時男、当審証人浅野彦三郎、同後藤徳蔵の各供述中右認定に反し控訴人若くは被控訴人等の主張に吻合する記載並びに供述部分はすべて当裁判所の信用し難きところであり、本件にあらわれたその余の全証拠によつては右認定を左右するに足りない。

以上認定の事実によつて見れば、右浅海巡査の所為は、万の所為と相いまつて本件事故発生の因をなしたものということができるが、同巡査において本件事故を生ずるであろうことを認識しながら敢えてこれを為す考えあつてのこと、即ち故意があつての所為と推断することはできない。

しかしながら、およそ本件事故発生当時警察官又は警察吏員が武器を使用し得る場合は、大正十四年内務省訓令第九号警察官吏武器使用規程及び昭和二十一年一月十四日拳銃使用に関する連合軍最高司令部の覚書に明らかなとおり、人の生命身体財産の急迫の侵害を防ぐため他に手段なきとき、職務上の抵抗を排するとき、集合的暴行行為を防ぐとき、兇悪犯罪容疑者の逃亡を防ぐときに限られているが、武器の中拳銃の如きは、特に危険性が高度であるところから、これが取扱ないし使用に当つては一層万全の注意が要請せられ、これを携帶する警察職員は前掲目的を達するがため真に必要止むを得ざる場合の外は、これを使用し得ないことは勿論、相手を威嚇するためこれを取り出すことさえも、時として相手が粗暴無分別な者であれば却つてこれに激発され拳銃をうばわんとして立ち向つて来ることも予想されるので、努めてかかる挙措に出でないよう注意すべきである。この注意義務たるや、前記訓令覚書の記載からも窺い得るが、そは拳銃の如き危険物取扱と云う事柄自体から生ずる当然の事理である。従つてもし警察職員が武器を使用するに当り如上注意義務を怠つたときは、過失の責を負うべきは当然である。ところで、本件において浅海巡査に過失なしということが果してできるであろうか。通常の場合不法行為における行為者の過失の挙証責任は被害者側にあるのであるが、本件の場合は、既に前記のとおり武器使用の限界が示されかつこれについて周到の注意が要請されているのであるから、同巡査において携帶せる拳銃を取り出したことが証明された以上、たとえ同巡査に弾丸発射の意思がなかつたとしても、拳銃を取り出すこと自体がその使用行為の一部又は前提をなすものであるから、行為者側において、この行為が前記訓令覚書の趣旨に照して正当行為であること、少くとも右行為をなすに当り周到の注意を払いいささかも右注意義務を怠つたようなことのなかつたことを証明しない限り、一応同巡査に過失があつたものと推定するのが相当であろう。この点に関し、控訴人は、浅海巡査が拳銃を取り出したことは、同巡査が自己を防護するためその他変に応ずるためであつて、当時の状況においては緊急止むを得ない必要な措置であつたと主張する。なる程時は暁闇であり所は犯罪の巣窟ともいうべき上野浅草附近であり(右地域においてその頃犯罪の発生件数の多かつたことは原審証人安達原達郎、当審証人佐川文男の証言によつて明らかである)、人は風体いとも怪しき万である。この時この所において折柄巡回中の浅海巡査が万に対し職務質問をなしたのは当然であり治安維持の任に当る警察職員としてなさなければならないところである。しかもその結果は要領を得ず、田原町派出所に同行を求めても万はとかく渋つてこれに応じなかつたのであるから、浅海巡査が万に対し益々疑念を深め、或は窃盗犯人であるかも知れないと思つたのも無理からぬところであるかも知れない。しかしながら、ともかくも同巡査が拳銃を取り出す前万が同巡査に対し危害を加えるような行動に出なかつたことは勿論、抵抗したり逃亡を企てるようなことのなかつたことは前認定のとおりである。控訴人は、万の反抗的態度に対する一瞬の気合として拳銃を取り出したのであると主張するが首肯しがたく、派出所に同行するためおどかしに取り出したといわれてもいたし方ないであろう。殊に万は当時兇器を所持せず、又兇器を所持しているような風もなかつたのであるから、なおさら拳銃を取り出す必要はなかつたのである。仮りに同巡査において主観的にかかる必要ありと思つてなしたとしても、そは同巡査が情況判断をあやまりかかる錯覚に陥つたものというべきであるから、この点に関し同巡査は過失の責を免れない。又、同巡査が安全装置のかかつたまま拳銃を取り出したことは、或は同巡査に弾丸発射の意思のなかつたことを証明する事情となすことができるかも知れないが、とかく安全装置は容易にはずれやすいものであるから、このことは何等その行為の正当なることを理由ずける事由となすに足らないばかりでなく、拳銃取出につき周到の注意を払つた一証左となすこともできないであろう。さらに又、同巡査の右所為が万の所為に挑発せられたものとしても、結局において客観的にみて拳銃取出の必要はなかつたのであるから、このことは、或は損害の賠償額を決定するにつき斟酌されるかも知れないが、これがため同巡査に過失なしということはできない。なお又、万が同巡査に組みつき拳銃をうばいとろうとしたことが本件事故発生の一つの因をなしたことは前認定のとおりであるが、仮りに同巡査が本件拳銃取出当時このことあるを予想していなかつたとしても、これがため本件拳銃取出行為と本件事故との間の因果関係が中断されるものでもなく、又前記拳銃使用についての注意義務が軽減されるものでもないから、このことは本件過失の有無を判定するにつき影響を及ぼすものでない。これを要するに、控訴人の提出援用にかかるすべての証拠によるも、前記認定の事実の下において、浅海巡査の本件所為が正当なることを証明することのできないのは固より、前記過失の推定を覆えすこともできないので、同巡査に過失ありと判定するの外なく、同巡査はこれが責を負うべきである。

ところで、万としても全然過失なしということはできないのである。相手は正服を着た警察職員であり、その職務質問をなすことは本件のような場合当然なすべきところであるから、よろしくそれに対し納得のゆくように答え、又派出所に同行を求められた場合、たとえそれが強制力をもつていないとしても特段の事由のない場合それに従うのが当然である。この点に関し万のとつた態度には遺憾の点があり汽車の発車時間が切迫しており帰りをいそいでいたことは理由にならない。これがため浅海巡査の疑念をいよいよ深め、ついに拳銃を取り出すまでにいたつたのである。さらに、万が拳銃を取り出した同巡査に対し前記の如く大言を吐きながら組みつきその拳銃をうばいとろうとしたことは、たとえとつさの間のことであり、前後を忘却した所為であるとはいえ、無思慮も甚だしく、これが本件事故発生の一つの因をなしたことは否めない事実であり、到底過失なしということができない。

しからば、本件事故は、加害者浅海巡査被害者万双方の前記過失に基因するものであることが明らかであるところ、右浅海巡査が万に対してした行為が警察法に所謂特別区の存する区域における自治体警察の公権力の行使として職務上行われたものであること、控訴人がその自治体警察を維持し、その費用を負担する公共団体であることは当事者間に争いないところであるから、控訴人は、国家賠償法により浅海巡査がした右不法行為に基く損害を賠償する責に任ずべきこと当然であり、その賠償額を定めるについては前記被害者万の過失を斟酌するを相当と考える。

よつて進んで損害の点について按ずるに、万は、本件事故発生の当時年齢満二十七年八月余の男子であつて被控訴人等肩書地で農業の傍ら馬車曳業を営んでいたことは前認定の通りであり、原審証人佐藤ちな子、原審(第一、二回)における被控訴本人(原告本人)鎌田はるのの各供述によれば、万は普通健康体で死亡直前農業及び馬車曳業により少くとも一カ月金六千円、一カ年金七万二千円の收入を得ていたが、同人の生活費としては一カ月金三千円、一カ年金三万六千円を要していたのでその純收益は少くとも一カ年金三万六千円であつたと認められる。乙第六号証の記載のみによつては未だ右認定をくつがえすに足らないし、その他には右認定を左右するに足る証拠はない。ところで満二十七年八月余の普通健康体の男子の平均余命年数が三十年を超えることは当裁判所に顕著な事実であるから、万は、本件事故がなかつたならば、爾後少くとも三十年間は生きながらえることができたはずであり、そして農業、馬車曳業の如きは、特別の事情のない限り、その間同じ程度に働らくことができるものと認めるのが相当であり、従つて右三十年間に得べかりし純收益合計金百八万円を本件事故により失つて損害を蒙つたものと認めることができる。もつとも右の金額は三十年後に至るまで毎年三万六千円の純益を積み重ねて達するのであるから、現在一時に賠償を求める損害の数額は、「ホフマン」式計算法により年五分の中間利息を差し引くべきであり、これによる損害額は、金六十四万九千五十五円二十四銭となる。

而して、右損害は、万の死亡によつて同人に生じた損害であるが、その損害発生については前述の通り被害者万にも過失があるので、この過失を斟酌するときは、控訴人がその責に任ずべき右損害の賠償額は金三十万円を以て相当なりと認める。而して前出甲第三号証及び被控訴本人(原告本人)はるのの原審(第一回)における供述によれば、被控訴人哲は、万の長男(万死亡当時四歳)、被控訴人時子はその長女(同じく三歳)、被控訴人愛子はその二女(同じく一歳)、被控訴人マサ子はその妻(同じく二十四歳)、被控訴人七五郎はその父(同じく六十二歳)、被控訴人はるのはその母(同じく五十六歳)であること及び被控訴人寿子が本件事故発生当時胎児であつた万の三女であることが認められるから、被控訴人等のうち七五郎及びはるのを除くその余の者は前記過失相殺がなされた限度において成立した万の賠償請求債権を相続により取得したことが明らかであり、従つて相続分に応じ、被控訴人哲、同時子、同愛子、同寿子は各金五万円被控訴人マサ子は金十万円の損害賠償債権を取得したわけである。

次に万の妻子、両親である被控訴人等が万の不慮の死亡によつて精神上甚大な苦痛を受くべきは当然である。成立に争いなき甲第三、第六号証と原審(第一、二回)における被控訴本人(原告本人)はるのの供述を合せ考えると、被控訴人等の家には万、七五郎のほかには男子なく、七五郎は農業を営み、田九反畑三反を小作し(もつとも、その大部分は農地改革により売り渡してもらえることになつている)、住家を有しているが、働き手の中心である万を失つて耕作にも困難している事実を認めることができ、右認定を左右するに足る証拠はない。かような事実と前認定の被控訴人等の年齢その他諸般の事情を参酌考量するときは、被控訴人哲、同時子、同愛子、同寿子等が生長するに従つて受ける精神上の苦痛に対する慰藉料額は各金三万円、その余の被控訴人等が蒙つた精神上の苦情に対する慰藉料額は、被控訴人マサ子につき金五万円、被控訴人七五郎、同はるのにつき各金三万円を相当と認める。

しからば本訴請求は被控訴人哲、同時子、同愛子、同寿子においてそれぞれ前記認定の損害賠償債権額と慰藉料の合計金八万円被控訴人マサ子において同じく合計金十五万円、被控訴人七五郎、同はるのにおいてそれぞれ慰藉料金三万円及びそれぞれこれに対する万死亡の翌日である昭和二十三年五月二十八日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合の遅延損害金の支払を求める限度においては正当であるからこれを認容すべきも、被控訴人七五郎、同はるのを除くその余の被控訴人等の爾余の請求は失当であることが明らかであるからこれを棄却すべきである。

従つて原判決(但し原告等の請求の一部を棄却した部分を除く)中、被控訴人哲、同時子、同愛子、同寿子、同マサ子に関する部分は一部不当であるから右判定の限度においてこれを変更すべく、被控訴人七五郎、同はるのに関する部分は相当であり、これに対する本件控訴は理由がないからこれを棄却すべきものとし、民事訴訟法第九十六条、第九十二条、第八十九条、第百九十六条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 大江保直 梅原松次郎 奥野利一)

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